そういう感じ

日々のニュースを見て書く。伝われこの気持ち

何もなかった夏

夏が終わってしまった。

ブログ更新をする暇もなく(厳密にはする気もなく)、見事に3日坊主を達成し、存在すら忘れていたが、パソコンのフォルダ名に迷っている時にふとして思い出して今、ここに文を連ねる。

 

何を書こうか

私の生活はそれほど喜劇的でも悲劇的でもない。

劇といえばこの前社会に出た大学の先輩が「コモンビート」たるものに出演した。

 

大学生から社会に出ると、意外なことだが大学時代の結びつきはSNS上だけになる。皆散り散りに就職をするからだ。

よしんば近くだったとしても、案外めんどくさい・予定が合わないなどの理由で会わないことの方が多い。

まあ、そんなこんなに加え、激務と単調な仕事に追われたその先輩は、持ち前の明るい笑顔を失い、無事病んだのであろう。気づいたら噂で「なんか辛いらしい」と回ってくるようになった。なんかというところがミソで、それほど深くない関係性を感じられる。それだけならまあよくある話で済むのだが、時が経ち、トゥイッターを見ていた私は滅多につぶやいていなかったその先輩が「私、この演劇に出演します!来てね」みたいなことを言ってるではないか!

 

それが、コモン・ビート

 

ホームページを見てもごちゃごちゃ言っててなんかよくわかんなかったが、どうも「弱った人たちからお金もらって、演劇通じて自立支援をしながら、その親とか友達からもチケット代せしめたるぜ!」というようなことが書いてあった。

 

それが、コモン・ビート

 

そんな色々香ばしい匂いのするNPOの劇に参加するというのであれば、これは後輩として単身特攻していって「andamanoくん!きてくれたの!せっかくだからご飯行こうか!」という流れからのSEXしかないだろ常考とイキって我参戦

弱った女子とか行くしかないでしょ(童貞)

 

それが、コモン・ビート

 

星の速さでリプしてチケットは抑えた

道中花を買いご機嫌取りもバッチリ

 

いざ、観劇へ・・・!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結果から言うと先輩ちょい役でした。

劇の内容は「戦争というものを文化的侵略と単元的に捉えた上で、ダンスで文化融和しようよ!」みたいな内容でした。

コモンビート=心音=僕らはみんな生きている

的なね

 

なんか終始真ん中の方でパッション屋良のモノマネした白いねーちゃんいるしミュージカルなのに歌がクッソ下手なやつおるし

 

あと思ったのがね

意外と出演者みんなかわええな

ってこと

先輩は笑顔が素敵なだけであって可愛くはないからさ

うん…

 

 

 帰って家で丸まったティッシュをゴミ箱に投げ捨てながらこう思った

 

演劇の時間的制約が原因か、はたまたライターが原因か。コモン・ビートの世界には、「伝統や文化を守れ!」という文化ナショナリズム的戦争理由しかない。そこが幼稚に思え共感できなかった。それゆえ、「みんな等しく生きている、争わずに協和していこう!」という部分も併せて共感できず、伝えたいメッセージを送る力に欠ける台本であると思った。経済的要素は尺的に入りきらないだろうが、その他の利害的要素(国土とかのこと)は入れられたと思う。そこをもって、文化に加え、領土・国境の観念の社会における無意味さなどを入れ、二つの共感にしてからまとめで戦争反対メッセージを入れれば良くなると分析できる。対象が幼児ではいいが客層は概ね大人だ。アナーキストのようなことを伝えたいのであれば、もう少し工夫の余地は必要であろう、

と。

それと、やっぱ水谷心音(藤崎りお)は最高なんやって